そこに住んでいても意外と知らない昔のお話をご紹介します


まだ地下鉄のない時代、今の広小路通には市電が走っていた。市電の停留所であった仲田から今の東市民病院の近くにあった造兵廠(ぞうへいしょう)まで、幅員八間(十五メートル)の道路が造られた。これが今の仲田本通である。通りの両側には商店などが建ち並び始め、仲田本通は商店街として発展していった。工廠で働く従業員数は5万人もおり、昼夜2交替制だったので、いつも仲田本通は人で賑わっており、「名古屋東部の広小路」と当時は呼ばれ、千種区域で最大の繁華街だった。

NO1. 円頓寺・円頓寺本町・西円頓寺商店街へ